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第68話 新しい門出に潜む影 

last update Last Updated: 2025-08-24 19:54:09

 ミカエラの新しい生活は、アイゼルと共にある。

「わたくしの仕事は、これだけでよろしいのでしょうか?」

「とりあえず、それを済ませてしまってくれ。後は追って指示する」

「承知いたしました」

 ミカエラは軽く頭を下げると、書類をアイゼルから受け取った。

 ここはアイゼルの執務室だ。

 午前中はアイゼルの仕事を手伝うのが、ミカエラの日課となった。

 午後はお茶会に出たりするし、夜は夜会へ出席するなど相変わらずミカエラは忙しい。

 もちろん、王太子婚約者としてアイゼルとの親交を深めるのもミカエラの大切な仕事だ。

 アイゼルの執務机が見える場所に置かれた小ぶりの机の前の椅子へ腰を下ろしながら、ミカエラは婚約者の姿をチラリと盗み見る。

(仕事をしている真剣な表情のアイゼルさまも素敵)

 ミカエラの周囲では嬉しそうにオレンジ色の光がキラキラと煌めている。

 目の端へ映る輝きに気付いたアイゼルが、ミカエラの方を見てニコッと笑う。

 ペンを握ったミカエラは頬を赤らめると、慌てた様子で手元の書類へと視線を落とした。

 そこにアイゼルの母であり王妃であるセレーナがやってきた。

 ミカエラは執務の手を止めて、スッと椅子から立ち上がって机の横へ出ると美しいカーテシーをとる。

 頭を上げて姿勢を正したミカエラの視界に、椅子からサッと立ち上がって母の側へと歩み寄るアイゼルの姿が映った。

「珍しいですね、母上。こちらへいらっしゃるとは」

「ふふ。今日からミカエラがこちらで仕事をすると聞いて……どうかしら? ミカエラは上手くやってる?」

 言葉や口調は柔らかいが、腹のうちは異なるのが丸わかりの口調でセレーナは息子に聞いた。

「はい。ミカエラは優秀ですよ、母上」

「ふふ。未来の妻を褒めるのはよいことだけど……早々に持ち上げるのは軽率よ」

 息子から思っていたような返事を得られず、眉を困ったように下げたセレーナは、美しい青い瞳をミカエラへと向けた。

 今日のセレーナも、一分の隙もない、人形のような姿をしていた。

 一糸乱れることなく結い上げ整えられた髪型に、レースやフリルの乱れが一切ないドレスと一分の隙も無い。

 その冷徹な青い瞳がミカエラを見つめる。

(セレーナさまは、わたくしが何をしても面白くないご様子だから。どうすればよいのか分からないわ)

 実際、セレーナが探しているのは安心材料ではなく
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